「明日学校を休んでもいい?」
その目からはあとからあとから涙が流れていた。
私は訳も分からず仕事の荷物が入ったカバンと夕飯の買い出しのスーパーのビニール袋をテーブルに置き、息子を見つめた。新学期が始まってまだ一週間も学校に通っていなかった。
「どうしたの?何かあった?」
熱もなく、具合も悪いようではなさそうだ。
「今は言えない。ママには理解できないから言いたくない。」
「学校を休むのを認めてほしい。」と涙ながらに訴えていた。
宿題したくないとか勉強についていけないとか部活の練習がつらいとか友達と喧嘩したとか思いを巡らせてはみたがどれも今の息子の姿からは結び付かなかった。ただ、息子の非常事態であることだけは確かだった・・・。一日くらい休ませてもいいだろう。
「わかったよ。明日は学校休もうか。」
私の言葉を聞いた息子はほっとしたようだった。
涙をぬぐい「ありがとう。」といって部屋に戻った。
新学期が始まって少し疲れもあるのだろう。
明後日には学校に元気に行く姿が目に浮かんだ。
「この子ならきっと大丈夫。」
今夜は興奮しているから明日、落ち着いたら理由を聞こうと思い、その日はそのまま何も言わずそっとしておくことにした。
しかし私の思いとは裏腹に息子はそのまま学校を休み続けた。
3日目学校を休んだ夜、私は私の弟を呼んだ。息子は弟にかわいがられていたし尊敬もしていたからだ。学校にいけないのをこのまま放置できなかったし、まずは理由が知りたかった。
息子と弟はずっと黙っていた。しばらくの沈黙の後、弟がもう一度聞いた。
「おまえは何の理由もなく学校休むやつじゃないだろう。理由を教えてくれ。」
弟は静かに言った。すると、息子は急に声を詰まらせたように泣き出し、そしてしばらくにじみ出る悔しさを必死に抑えこみながら、心の底に溜まっていた膿を出すような声で言った。
「僕はいじめられている。小学校の4年生の時から・・・。もう耐えられない・・・。5年もだ・・・!」
私も、弟も、唖然となった。まさかそんな前からいじめられていたなんて思いもよらなかった。鍵っ子だったが、ルールさえ守っていれば親がいない時でも自由に友達を家に入れて遊んでいい約束だった。親がいるときもいない時もいつも家には男の子も女の子も自由に遊びに来ていた。友達関係はうまくいっていると思っていたのになぜ。息子の心の底からの声が私の頭からずっと離れなかった。
弟はいじめっ子との付き合い方や、自分の考え方やとらえ方のアドバイスをして、また来ると言って帰っていった。
私は息子の身に起こっていた事に気づこうとしなかった自分を責めた。仕事や家事を理由に息子との時間を作れていなかったかもしれない。後悔は計り知れなかった。私は息子の気持ちが回復するのを待つことにした。その間にできることはすべてやろうと思った。今まで通り学校での生活で青春を謳歌することが息子にとって一番だと思ったからだ。そしてそのための環境を取り戻すのは私しかいないと思った。
時々同じ野球部の子が学校帰りに家によってくれた。手紙をくれたり、部室に置きっぱなしだったグローブを磨いて持ってきてくれたり、明日の試合のユニフォームを教えてくれたりした。
息子はゴールデンウイークの野球部の練習の間だけ、その子と一緒に野球に出かけることができた。
その間、私は学校に何度も面会に行った。
学校にいじめの認識があるか確かめたかったし、何があったか知りたかった。しかし学校側の認識はなかった。反対に誰か心当たりはあるかと聞いた。先生は二人の生徒の名前をあげた。息子から聞いていた名前の一部と一致した。
私は学校側での調査を依頼した。学校側は承諾し、息子が戻ってきても大丈夫なように監視を強め、教師全体で事態を把握すると約束した。
仕事先には事情を話し、しばらく午後半休を取ることで息子が部屋に閉じこもっているのを静かに見守った。ほとんど部屋からは出ず、昼夜が逆転し、お腹が空くと一緒にご飯を食べるがほとんど残した。体重はみるみる落ち、日差しを受けて健康的だった黒肌もだんだん薄くなっていった。
幾度かの学校との面会内容を息子に伝え、野球部の友達や、一年生の時に仲の良かった友達の助けもあり、息子は学校との面会に承諾した。担任の先生と学年主任の先生が対応した。息子に「絶対に守るから大丈夫だ」と約束した。―そののち、息子は学校に行った―
学校は行ったり行かなかったりだったが、息子の気持ちを優先にした。
二週間くらいそれを続けたのち、また学校にいけない日が続いた。
しびれを切らせた私は学校のことを聞いた。
「先生は守ってくれていた?」
「先生はうそつきだ・・。先生に僕は守れないしそもそもいじめなんて絶対になくならない・・。いじめは人の見ていないところで行われる!僕が先生にA君の名前を言ったら負けだ!もっとひどくなる!いじめは無限ループだ!だから僕は学校に行かない!僕はもう終わりだ!学校に行けなくなったら高校にも行けない!高校に行けなかったらろくな仕事にもつけない!そんな人生は嫌だ!僕は死ぬしかない!生きている意味がない!なんでいじめられるのが僕なんだ!!」
苦しみと絶望感で肩を震わせ声を荒げながら私を睨みつけたその鋭い目には大粒の涙がこぼれ落ちていた。息子が発した言葉が胸を突いた。傷は深く、限界まで来ているのがわかった。
私は、ハッとした。
「わかった、わかったよ。ごめん、本当にごめんね。学校に行かなくていいよ。もう我慢しなくていい。」
最初の告白から1カ月半が過ぎていた。つらかっただろう、苦しかっただろう。なのに私は皆の期待に応えさせようと息子に無理を強いてしまった。
13歳の息子を抱きしめていいのか戸惑いながら、私は息子の背中をさするので精いっぱいだった。息子の心をこれ以上傷つけたくない思いと自分のしてしまった過ちの重さを直視することができないうしろめたさで指先が震えていた。
苦しみぬいて絞り出した息子のSOSを私は一番に考えてあげられなかった。何もわかっていなかったのは私のほうだった。
著者紹介
- 名前
- かな
- 性別
- 女性
- 年齢
- 40代
- 出身
- 群馬県
- コメント
- 2019年小中学生の不登校生徒は全国で14万人を超えました。子供が何を考え、何に苦しんでいるのか。息子の不登校を通して葛藤した日々を縁あってエッセイにしました。これを読んで不登校への理解や子供の考え、主張を知っていただけたら、幸いです。