今働いている会社に入社して9ヶ月が経つ。
全く環境が違う地元から群馬に越してきて9ヶ月ということでもある。
とあるドラマで血の繋がっていない親子のセリフを耳にする。
母「あなたが笑えば、私まで笑っているような気分になる。あなたが傷つけられると、自分が傷つけられたかのような怒りを覚える。あなたが褒められると、まるで自分が褒められたかのように舞い上がり私はあなたと自分を混同した状態に至りました。」
子「お母さんバカなんじゃないの?そういうのを世間では”愛”っていうんだよ」
なんて素敵なシーンなんだと感動する自分がどこかでハッとしたことに気がついた。
「私は今勤めている会社を馬鹿にされたら怒るだろうか、会社が褒められたら自分のことのように舞い上がるだろうか…私は自分の会社への愛を持っているのか…」
答えは「ごめんなさい」だ。
会社のことを悪く言われれば「確かにそうかもな」と同意するだろうし、会社を褒められたとしても内側を知っている分素直には喜べない。
「面白いは正義」というモットーのもとに生きてきた私はいつからこんなつまんない人間になってしまったんだろうと自分を憂う時間さえ付いてくる。
久しぶりに会った友達や親戚に会社はどうと聞かれれば愚痴しか出てこない。
そんな最近は会社と家の往復とで「あぁ北の地元からわざわざ群馬まで来て何しているんだべな」と虚無感に襲われる毎日。
せっかくの週に1度の休みも疲れを癒すために寝て終わってしまうことが多い。
今年度は社員やパートが何人も辞めた。
私の目にはみんな会社や社長のやり方に愛想をつかしたように見えた。
社長はたくさんの希望を語る。
自分たちの仕事でお客さんの未来を明るくしたいと。
ただその言葉は私の芯まで伝わってこない。
この短い間で見えてきたあなたの人間性が邪魔をしてくる。
なんだか可哀想になってくる。
社長も、もちろん自分も。
社長は夢の中にいて、私は夢から覚めていて言葉が伝わってこないような感覚。
働くことに希望を持っていた若者としては
「社会人ってこんなもんなの?」
「そんなことないはず」
という問答が頭をぐるぐる駆け巡る日々である。
見る人が見れば真っ暗に思えるような私の生活にも楽しみがある。
それはこの見知らぬ土地で新しい人と出会うこと。
群馬に来てから引越しの際に担当してくれた賃貸屋さん。
たまたま同期と入ったご飯屋さんで群馬のお母さんと呼んでいいよと言ってくれたお母さん。
スーパーで話しかけてくれた群馬在住の外人さん。
他にもこの9ヶ月で面白い新しい出会いがたくさんあった。
誰かと一瞬でも繋がることで自分にはまだまだ知らない世界があると、こことは違う世界で誰かは生きているんだと教えてくれる。
ふと目に入る群馬の山がちな景色は、地元の景色と似ているような気がする。
今は向かい風の赤城颪も追い風になる日がくるのかもしれない。
著者紹介
- 名前
- ぽてと
- 性別
- 女
- 出身
- 寒いところ
- コメント
- 今はちょっとした長旅に出ている最中です。ネガティブなのではなく、慎重なのです。