2021年3月17日(水)
有休を使用し、朝からカメラをまわす、そう今日は卒園式。
前日に「そうだ、京都いこう」ぐらいな勢いで、おすそわけように、長男の密着1日ドキュメンタリーを作成しようと思い立ち、カメラでおいかける。
コロナの兼ね合いで、式には大人1人までという入場規制があり、もう1人は別室でモニターで観覧、別室でモニター!?そんなライブ中継するシステム組むんだ、お金あるな、熱心だな、と感心しつつ、次男と三男もいるし無理だなぁと、車でぶらぶら回遊プランにしたので、式や園での様子は妻に託しました。
僕は、前後、自宅~門まで、門~自宅までのパートを担当。
1日が終わり、編集開始。
妻に「絶対にスマホを横にして撮影してね!」と念押しして撮影してもらった動画をみると、名前を呼ばれ、おもちゃの兵隊みたいに手を大きく振って、檀上へテキパキ行進する長男の姿が。
ちょっと・・・これ・・・と、やりすぎ感に笑ってしまったが、園長先生からシャッキっと卒園証を受け取るさまをみて思った。
「もう、俺を超えたな。」
人の遺伝子は両親からはんぶんずつ受け継ぐみたいなことを、どっかで読んだ気がする、残りはんぶんに感謝である。
このシステムはとてもいいなと思う、仮に片方がサイコパスでも、片方がマザーテレサ並みの人格者だったら、うん、どうミックスされるかも実験的な感覚もするし、面白い。
成人式もでてないし、中学校でも不登校で、家でずっと自分の部屋にひきこもって映画や漫画をずっとみていた時期もあるような、普通とはほど遠い人間なので、動画の中でシャッキシャッキと動く長男の姿をみていると、すごいなコイツと別人であることを強く認識するのであった。
「もう君に教えられることはなんもないよきっと。」
よく今まで生きてこれたな・・・としみじみ回想していると、あの大きな石の上でねころんでみた空が印象的に思いだされる。
正確に位置を思い出せないのだけれど、たぶん今は取り壊されていて、現在の深谷市立図書館の駐車場あたりにあったと思う、学校に登校できない生徒が通うと「もぉしょうがないわね・・・特別よ。」と、出席したことにして救済しくれるフリースクールのような施設があった。
元校長先生とか、元教員の方々がスタッフとして働いており、おじちゃん1人、おばちゃん2人、施設といっても、庭に仮設された小さなプレハブ小屋みたいなお粗末なもので、7人ぐらいでギューギューだ、その小屋からちょっと離れたところに、平べったい大人1人が寝ころべるような大きな岩が、枯山水てきな感じで配置してあった。
学習の時間もあり、隣の立派な建物内の会議室のような場所でおこない、休憩中はそのプレハブ小屋でトランプなどをみんなでする、小学生や中学生など年齢もバラバラでなんだかワイワイガヤガヤ楽しそう、僕は休憩中はよくそこの平べったい岩で寝ころんでいた、そう、そのプレハブ小屋にさえ馴染めなかったのだ。
ただ、僕を気にしてくれる子がいて、きっとおじちゃんおばちゃんに促されたのだろうが、何度も僕を誘ってくれた。
嬉しかった、から、きっと今でも鮮明におぼえているんだろう。
そして少しづつコミュニティになれていった、色々な子がいた、頭もよくてかわいいのに、要領よさそうで活発なのに、なのに、がたくさんいて、それぞれ事情を抱えていた。
熊谷市の中奈良という田舎から深谷市街地まで自転車で40分以上、よく通ったなと思う、楽しかったんだな。
このコミュニティのおかげで、頑なに「高校に行かずに働く!学校なんで無意味だ!」と、声高らかに宣言し受験せずにいた僕が、定員割れの高校が2次募集をかけはじめた時期にギリギリすべりこみで、進学しようと心変わりするのだ、おばちゃんの「情報システムコースというパソコンやらプログラミングをする時間がある学校があるみたいよ、あなたゲームとか好きよね。」という、大人の甘い誘い文句のおかげで。
そうした、人の善意によって、どうにかこうにか社会の隅っこで生きてこれた。
なにもできないけど、どうせどこかに税金払うなら、深谷市かなと、住む場所の選定基準にもなった、僕にとって深谷は、変化、新しいスタートの象徴のような場所でもある。
動画の編集終了。
完成した動画の最終チェック、長男の姿をぼんやりながめる、いや、ほんと、すごいよ君は、よくここまで生きてる。
僕からみたら、卒園式をこなす君はまぶしすぎる太陽みたいだ。
同じ人間として尊敬する。
父親は最低最悪でも、はんぶんの遺伝子が劣悪でも、お金もないけど、できる限り、すでに僕を超えた君にプラスになる工夫を。
卒園おめでとうございます。
著者紹介
- 名前
- ガラクタ父ちゃん
- 性別
- 男
- 精神年齢
- 12歳
- 出身
- 埼玉県熊谷市
- コメント
- 母親のエッセイが多くなってきたので、父親のエッセイをと思い、ダメ親代表として筆をとりました。