一年以上前の生活と比べると、外出の機会はだいぶ減ってしまった。毎年、年始には夫の実家に遊びに行き、賑やかに団らんしていたのに、今年はそれも控えることとなった。時間がゆっくりと過ぎていったお正月だった。
遠方に出掛けることはなくても、家の中でもできることはあるし、週末は天気が良ければ、家族で公園にも行く。
けれど、人の多い場所に行く機会は減り、家族以外の人と話すことも減った。
子どもたちは、こんなに長い期間、おじいちゃん、おばあちゃんに会っていないのは、生まれてから初めてのことかもしれない。
「旅行行きたいな~」と、たまに子どもたちが話していることがある。けれど、子どもながらに状況は理解しているのか、「連れて行って」とは言わない。
この冬には、娘と息子の誕生日があった。
毎年、子どもたちの誕生日には、それぞれの好きな場所にお出かけしていたから、それをさせてあげられないのは切ない。
ついネガティブに考えがちで不安を感じることが多いからか、気兼ねなく人と会っておしゃべりをしたり一緒に過ごすことができていないことが影響してか、私はしばらく体が強ばった感じが続き、うまくリラックスすることができなかった。
何となく前向きになれない毎日を過ごしていたが、息子が休日には必ず散歩に行きたがるので、一緒に歩くようになった。
息子との散歩は、週末の午後。約一時間歩き続ける。散歩コースは、息子の気分次第。私はかなりの方向音痴なので、家からある程度離れてしまうと、無事に帰り着けるかは、息子が頼りだ。
散歩といえば、綺麗な花が咲いているのを楽しんだり、爽やかな風の匂いを感じたりしながら歩くイメージを持っていたのに、息子と散歩を始めたのは真冬で、景色は枯れ木ばかりが目に入り、吹き付ける風がとにかく冷たい。寒がりの私には、ちょっと辛い・・・・・・。
息子はというと、「子どもは風の子」らしく、寒さなんて気にせず、どんどん歩いて行く。そして、道中にある建設中や新築の家を見るのが、彼の楽しみらしい。
車で出かけた際に、自宅から徒歩で行ける範囲にある建設中の家をチェックしていたようで、「今回はあっち」「今度はあの家」と、散歩の目的地を決めていく。
一、二週間経つと工事も進んでいて、自分が住む家ではないけれど、なんだか愛着が湧いて、完成が待ち遠しくなってくる。寒い冬の散歩に、私も楽しみが見いだせてきた。
「この家、素敵だね~」なんて二人で話していると、これからそこに住む人のことや、周囲の家々のそれぞれの生活に思いを巡らすことができる。直接顔を合わせていなくても、何だかゆるやかな人との繋がりが感じられるような気がして、穏やかな気持ちになる。
季節や自然の変化を感じる散歩も素敵だけれど、こんな散歩も良いかもしれない。二人きりの散歩で、同じペースで歩き同じ景色を見ていると、家の中では話さないような話題でもおしゃべりできる。
学校でどのように過ごしているか、普段は私が尋ねても、素っ気なく一言二言答えるだけの息子も、散歩中であれば不思議と会話が続いていく。ふとした会話の中から、息子の物の見方や考え方を知り、その成長を感じることがある。
歩けばお腹も空いてきて、心地よい疲れもあり、小さな幸せを感じる。
数年前は、手を繋ぐのをとにかく嫌がっていた息子。私の手をふりほどいて、自由に、ぱぁーっと走り出してしまう息子に、何度ヒヤヒヤしたことだろう。
けれど、今では息子の方から手を差し出し、「寒いね」「車が来て危ないから」などと言いながら、繋いでくれる。道路を渡るときには、「ちゃんと手を挙げるんだよ」と、頼もしく注意もしてくれる。
時々、私が道をよく知らないのを良いことに、散歩の帰り道、息子が先導してわざと家とは反対方向に歩いて行き、結果、ケーキ屋さんに着いてしまったなんてこともあるけれど・・・・・・。
こういう何気ない時間も、きっと過ぎてしまえば、貴重な時間。
それを感じているから、うーんと遠回りをさせられても何でも、私はまた週末になれば散歩に出かけるのだろう。
著者紹介
- 名前
- 円野こいし
- 性別
- 女
- 年齢
- 昭和生まれ
- 出身
- 東京都
- コメント
- 夫、小2の娘、年長の息子と熊谷に住んでいます。エッセイは初めてですが、子どもたちとの日常を綴っていきたいと思います。よろしくお願いいたします。